お米の国日本 会長 藤田紫堂 昨年末に成立した安倍晋三内閣は「聖域なき関税撤廃が前提でないことが明確になった」ということで、いよいよTPP(環太平洋戦略的経済連携協定)に参加を表明しました。「第一の開国」が一八五四年の「日米和親条約」、一八五八年の「日米修好通商条約」であるなら、大東亜戦争終戦が「第二の開国」、そして今回のTPPが「第三の開国」ととらえられると思います。はっきり言って「第一・第二」は日本には不利なものと考えます。 「第一」は「治外法権」「関税自主権のない」といったものが盛り込まれ、ご存じ不平等条約でした。 「第二」も一見、疲弊した日本を救うものであったととらえられないこともありませんが、アメリカで余っていた「小麦」を日本に売りつけることにより、日本の農家の衰退を招いたことはご存じの通りです。学校給食にこっぺパンと脱脂粉乳があらわれたのは、アメリカの農家を救う手立てだったのではなかったのかと疑ってしまします。パンの味を知った日本人は米を捨て、平成の御代では農家が衰退し、六十七年経った今、いたるところに耕作放棄地が現れました。日本建国以来の「豊葦原の瑞穂の国」の危機を招いているといっても過言ではありません。「安物買いの銭失い」とはこのことと思います。米を忘れた日本人はもう日本人ではありません。今年は神宮の第六二回式年遷宮です。神宮は米とともに歩んできたものであります。三回先の六〇年後には下手をすると式年遷宮は途絶えるかもしれません。そういう危機が迫っていることに気がついてもいいと思うのです。実に米国によって米が危機に陥るという洒落にならない現実が生まれたのです。 今回の交渉によって農家の息の根が完全に断ち切られないよう、政府に期待するよりありません。 明治維新で文明開化した日本は、西洋風な「個人主義」を受け入れてきました。考えが浸透するには五十年百年の時間がかかります。明治時代を作ったのは実は江戸の儒教的思想が基になっているのです。同じように昭和は明治の思想、平成は昭和の思想が作っているのです。このように考えると「個人主義」が浸透するのは昭和の時代ということになります。「個人主義」が日本の家族制度を壊し、国土の疲弊をもたらしました。昔は「農家の長男は先祖代々受け継がれてきた田畑を守るのが当然」と育てられたのです。その考えがあるので、代々の長男たちが伝来の田畑・山林を守ることにより、自然が守られ、ダムを造らずとも水資源が確保され、森によって作られたミネラル分が海に流れ、プランクトンの発生を促し、豊かな漁場を作ってきたのです。 しかし「長男だからといって農家を継ぐことはない」、「あなたがなりたい職業に就きなさい」となったのです。「泥まみれにならなくたって、お金が入れば豊かな暮らしができる」と考え、都市へ出る若者が増え、結果的に現代の農家は七十歳以上の方が残ることになってしまったのです。 西洋的アメリカ的なものが、新しくてよいものという幻想に振り回され、日本的な儒教に根ざした「仁・義・礼・智・信」や「至誠」「教育勅語」などといった思想・文化が衰退していったのです。何とも嘆かわしいことです。 そんな中、江戸・明治以来の精神・文化を継承しているものの一つが吟詠です。大会のプログラムにも書きましたが、詠じられてきた漢詩・和歌は日本人の「誠の心」や「人を思いやる心」、「人様に迷惑をかけるな」、「お天道様に申し訳ない」といった心がその根底にあります。数は少なくとも、こういった気持ちを持つことが日本に必要なことであると感じる次第です。どうか皆様今後も吟詠を通じ日本を矜持してまいりましょう。 |