巻頭言
神武天皇二千六百年祭に思う
緑村吟詠会会長 渡 邉 誠 道
本年四月三日は神武天皇が崩御されて二千六百年ということで、天皇皇后両陛下が神武天皇陵と橿原神宮を参拝なされた。橿原市では例年以上に多くの記念行事が営まわれた。
神武天皇の存在を疑う人々が今もいるが、今上陛下が第百二十五代天皇であり、初代天皇から一度も途絶えることなく現在まで続いているという事実から見て、必ず初代の天皇がおられる。その初代の天皇を「神武天皇」と呼ぶので、間違いなく神武天皇は存在する。
記紀に書かれている年代や天皇の事跡に疑いをもって、その疑いゆえに「神武天皇は実在しなかった」とする議論が多い。またそのような主張をする人々の多くは、魏志倭人伝なるものの記述を無批判に信奉して、「邪馬台国」「卑弥呼」という、古くからある日本の歴史書や神話伝承には全く出てこない事柄を当然のごとく歴史的事実として扱っている。
中国の人々の書いた歴史書がすべて真実で、作り事が全くないということが明白に証明できるのならともかく、中国では、王朝が変わるたびに自分の王朝に都合の良いように書き替えることが、現在に至るまで普通に行われているのであるから、その信憑性が疑われる。「邪馬台国」(よこしまなうまの国)は「ヤマト」、「卑弥呼」(いよいよいやしいこ)は「ヒツギノミコ」または「ヒノミコ」のことで、悪しざまにことさら貶めて魏の国の人が書いたとみるのが自然であろう。日本人が自国の歴史を記述する用語として使用するのはいささか疑問である。
今年は初代天皇の神武天皇が崩御されて二千六百年という節目の年である。この年に我々日本国民は、神武天皇がご即位なされてから百二十五代連綿として皇位が保たれているという歴史的重みを考えることは十分意義あることではなかろうか。
鎌倉時代に鴨長明が「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし・・・」と『方丈記』に記したように、世の中は無常で、全てのものが常に変化していく。人の世だけでなく、山も川も海も陸地も地球誕生以来常に変化し、太陽も星もありとあらゆるものが変化していく。
宇宙百数十億年、地球四〇億年の歴史に比べれば、人類百万年の歴史はほんの一瞬に過ぎないし、さらに人類の歴史に比べれば二千六百年は大したことはないかもしれない。明確な歴史としても一千五百年以上続いているのは、現在、日本以外にはない。世界で最も古い国が日本ということだ。古代国家が出来て以来、国の仕組みはいろいろと変化はしたが、天皇を最高権威として頂くということは変わることなく現在に至るまで続いてきた。真に不思議なことである。この不思議の国日本に生まれたことを感謝しつつ、今後の社会の行く末を考えてみたい。