沿革
創建者 渡邊緑村(幸吉)先生は,明治22年2月28日熊本県甲佐町生まれで,
明治末年から大正の初めまで台湾公学校の英語教師をしておられたが,
大正2年に上京,高円寺に学生塾「皇風寮」3棟を設け,吟詠による人間育成の仕事が始められた。
その後,全国各地を巡講しておられたが,昭和4年11月熊本市にて「皇風会熊本支部」が結成され,
昭和6年旭川滞在中に「日本漢詩吟詠会」を設立された。
昭和7年4月東京に「皇風会」を創立,菊池武夫男爵を会長に,平沼騏一郎男爵,荒木貞夫大将等を顧問に,
自らは副会長となって教育吟詠による国民教化運動展開への基礎を作られた。
そして,二松学舎専門学校(現,二松学舎大学)の講師となり,また,日本大学,大東文化学院,大正大学,
早稲田大学,國學院大学等の吟詠部の指導にも当たられた。
また,同年第二次皇風寮を開設。前記各大学の吟詠部員を選抜して寮生とし,日常生活を通じて不言実行的行の教育が行われた。
初代会長坂本坦道(大正元年~平成23年)もこの寮出身の一人である。
昭和8年11月10日,国民精神作興に関する詔書間髪10周年を記念する連合吟詠大会が,千駄ヶ谷の修養団本部講堂で行われた。
前記各大学の外,各種中等学校や小学校などから多数の参加があり,時の枢密院議長平沼騏一郎男爵,
陸軍大臣荒木貞夫大将らのご臨席があり,すこぶる盛大を極めた。
この大会が契機となって帝都の学生吟詠は,後の日本学生吟詠連盟の結成にまで発展していった。
昭和9年11月18日,日本学生吟詠連盟の結成と,その記念吟詠大会が,渋谷の全国神職会館講堂で行われた。
この連盟は緑村先生を主体とした吟詠報国の誠を致すための団結であった(二松学舎,大東文化学院,日本大学,
大正大学,早稲田大学,國學院大學の外,専修商業,市立二中,早稲田中学,保善商業,京橋商業,芝中学,府立一商,
日本大学中学,大成中学,明星中学等)。
会長に菊池男爵,副会長兼講師に緑村先生を迎え,その後修養団本部講堂で定期修練会が開かれた。
そして同会は帝都学生吟詠界の重鎮として,その堅実な発展振りが次第に識者の関心の的となっていった。